「風のひとりごと」ブログ

東日本大震災および熊本大地震、さらに数々の豪雨で被災された方々へ、心からお見舞いを申し上げます。
 爾来、10数年の時が経ち現在は何とも退嬰的な日常になっていますが、マスメディアにいた人間として権力には対峙すべきとの姿勢や、世の出来事を注意深く観察する視点は変わらずにいるつもり。特に、2020年からは新型の伝染病という未曽有の災厄で世界観さえも変わりつつあります。人間の愚かさを見つめながらも、その聡明さと活力に期待をしてソロソロと進んで行きたいと思います。

今日もまたお湯に浸かる

 早いもので、今の嫁さんと知り合い、関東圏と中部圏の中間に位置するS県S市に移り住んでからもう30年を超える程になると思う。それまでに転勤族として4年ほど住んだ事もあったため、何のかの自分の人生の半分近くをこの地に暮らしている訳だ。

 何時も東京生まれの東京育ちと「シティボーイ」を自称しておりましたが、友人から指摘されるまでもなくそんな存在からは遠くなった。

 ただ、地方に住む事の良さも十分に感得している事も事実です。引っ越し当初はその刺激の少なさにもちょっとした気抜けといったものがあったものの、何でも「住めば都」。未だ十分に自然は残っているし、街の真ん中に関しては地方都市とは思えないほどの活況を残している感がある。私は地方に10年ほど居たし(仕事での意味)、出張で自慢ではないけれど全国を観て回っていたので、地方の凋落といったものは肌で感じていた。恐らく、今は移住ブームだけれど、生理的にそれは「無理だ!」という人も多いに違いない。

 さて、その「良さ」の一つに来るのが現在も満喫をしている「日帰り温泉」のコトになります。もちろん、県内には多くの温泉地と宿泊施設があるのだけれど、それともまた違って気楽に通える場所だ。しかも、先述のような都会地にありながら、私の住む場所からは近場に3、4軒のそうした施設があり、私もそんな場所を品を変えて行き来しております。

 早速、今日も朝のごく早くからそのうちの1軒に訪れる予定。後述をするが、ごく普通に通っている場所でアリマス。一番に気に入っている所と言ってもイイのかもしれない。

気軽さが身上の日帰り施設

 さて、場所を知らない方にとってはイメージをしにくいのかもしれないが、今現在通っている施設を簡単に紹介しておきたい。

 先ずは今日、コレから行く予定にしている隣り街のK湯のコト。隣りと言っても今は同じ区内になっている(市が合併した)のだが、此処が一番に遠い場所かな。それでも、車で行って20分ほどだ。わり方古い施設だし、昔風と言えばそんな場所。露天風呂もちゃんとあるし、サウナも充実しているので、ほぼほぼで汎用施設と言える場所だろう。自分も古くから行っていたし、従業員の方もごく親切なので心情的に好きな場所と言えるところ。それと、後で言っても良かったのだが、ココでの目玉は自動マッサージ機の安楽椅子といったところですか。今は15分で300円と結構高いのだが、かなり以前からお気に入りで遣っている。何の躊躇もなく座るし、疲れを一遍に取ってくれる存在ですな。

 それと、自宅から一番に近いのが、歩いても行ける場所にあるB湯という場所。それでも歩けば20分ちょっとかかるので、今は腰痛のためもっぱらは車で。それでも、一時余り従業員の人たちの振る舞いが気に入らなかったで通っていなかったものの、最近はその便利さもあって再びに行くのが習いになってオリマス。目玉は何と言っても、近くの場所で湧いている温泉を加熱したK温泉。硫黄泉なので肌が確実に温まるし、長く入るとスベスベになる。最近、施設を一部改装して若者向けのゆったり感も出しているので、それなりに人気があるようですナ。

 あと、簡単に触れるだけになってしまいますが、もう一つ自宅から車で15分ほどの場所にある、Yの里という場所。ちょっと豪華で値段も高いが、施設は一番に充実していると言っていいのかな。広い駐車場もあるし、お年寄りばかりではなくて若者の団体客が多いのが特徴だ。結構な料金を取られる場所なので、何故、若い人が多いのか? と何時も不思議に思っている施設だ。

 何の事はなく、その3つを巡回するような形で温泉の湯殿を愉しんでおります。まあ、目先が変わる事もあるし、それぞれに特徴があるのでその日の気分で決められる。一面で大変に贅沢のコトではないでせうかナ。

 やはりありきたりの証言のなってしまいますが、歳を取ってからはこの程度の中都市がイイね。街中の活気も決して失われてはいないし、買い物も交通機関も便利だ。そして、何よりも温泉に時間を考えずに浸れる事が、自分の心やカラダに良い影響を与えているようにも思います。日帰り温泉、バン、バンザイだ!

朝は寒いナ

 朝方の強い寒気と共に、陽が出ると空は真っ青であり、「冬の晴れ間」といった風情を感じる。さすがにこの時期になると、朝は格段に寒い。誰かまた、一時は暖かくなるような事を言っていたが、着衣を含めてもう「後戻りはしないナ」というのが、一般の実感ではないかしらネ。

 特に述べるべき事を持つのではない身は、何時も通り。今日はその寒気に震えたコトが一つであり、やはりこの時期に特有のように昼になると心地良い暖かさがアル。冬型の天気というと、どうしても「西高東低」という言葉を思い出します。小さい頃から、お天気予報では馬鹿の一つ覚えのように聴くので、いつしか頭にこびりついてしまった。気圧の事だそうだが、今日の青空を見ていると、これが「典型なのか?」とも、つい思ってしまいます。

 早いもので、もう今月もお終いであり、愈々明日からは今年の最終月でありますナ。きのう、久しぶりに整形外科にリハビリに行ったのだが、年末年始の休業予定案内を貰い、「アア、もうそんな時分になるのかぁ〜」と年寄り特有の思い。

 来月からは多少とも週末の予定が入っており、遠方にも行ったりするので、何処か心は浮き立っております。個人的な行事になるので、それ以上を言うとイヤミになるのかな? 何時もは新年に言う言葉ながら、来年も平和で穏やかな日常と人間生活の健やかさを願いたいものだ。それだけデス。

露霜や落葉はわきて瑞々し 尾崎 光尋

何だか落ち込む世ではないか?

 金曜日でしかも、今日は29日でアリマス。11月は小の月なので明日でお終いだ。かなりに絵に成る週末といったところだろうか。だからどうと、暦に文句を付けるものでも何でもありませんが、最近の世相といったものは目に余ると、敢えて言いたい。

 一つ目は全くに老人の慨嘆と遠吠えとも言えるものかもしれない。何で、現代人はこんなにも機械、有体に言えばスマホに頼るようになってしまったのか。コンピュータやその他便利グッズにケンカを売る気はないものの、どうにも今の生活がスマホを中心に動いている――もっと言えば、その指図によって成り立っているような気がして仕方がない。もちろん、そんな生活に文句を付けたい訳でアリマス。

 年末・年始が少しばかり忙しいと書いた。もちろん、終活のために友人連中と会う予定を幾つも立てているの故だが、来春の1月には東京で小学校、中学校の友だちにそれぞれ会う予定が立っているため、きのうそのためのホテルを取ろうと悪戦苦闘をしたのであります。

 土曜の夜の宿泊の予定はとりあえずは取れたのは取れたのですが、どうにもその作業といったものが気に入らない。先ず、コンピュータの画面で相手のホテルを検索して予約サイトまで進む。必要な情報を入力して、さて「予約」となったところで、カード会社から身元確認の作業の指示がある。ここで、確認のコード番号(認証コード)を入れるとかいうのが出て来て、最終的には分かったのだが、最初は何処にもその番号が書いていない事に慌てて、かなりにエラーを出してしまった。最後に気がついたのは携帯の番号を聞かれたので、「もしや?」と思ったらPCではなくて、そちらにそのコードとやらが届いていたコト。それで、作業は済んだものの、どうも腑に落ちないのでありますネ。

 何だか、画面を観ていると、今はこの支払いの作業は基本的にコンピュータでのウエブ決済でしか受け付けていないようだ。どうにも、以前あったような現地で払うとかその場でカードで、といった事は出来そうにないのでアリマス。

 何時も、その何とかの商品を買おうという時の手続きもそうなのだが、途中のいろいろな質問に上手く応えられず、さらに暗証コードなども忘れてしまっていて頓挫する事が良くある。実際に、きのうの宿泊予約に関しても、そうした作業に慄いて最初から自分の個人情報を逐一に入れ込んでやったのだが、その確認作業のところで全く上手く行かなかった。ホント、途中で諦めて止めようかとも思ったのです。

何でもっと人間を主役にしないのか

 まあ、年寄りには辛い世の中ですナ。全てが、便利、便利、効率、効率になってしまっていて、遣う人間の視点と声が抜け落ちている。私は前述のコンピュータ操作の煩雑から、買い物や予約を諦めた事が何度かアル。何故に、電話で直接担当者と話して、手続きが進められないのかしらネ。

 思うに、あのコロナ騒ぎからも世の中が激変をしてしまった。「距離を取れ!」とか「余り、話をするナ!」との奨励が慣れっこになってしまって、やっとの落ち着いた世の中になっても、対話や対面といった作業は格段にその勢いを失くした。機械がやってくれれば、それに越した事はないのでアリマス。ちょっと違うと思うけどネ。

 あとは、そうした機械文明や世情、戦争も恥じない為政者の横暴といったものが、今の世界を支配しているポピュリズムの元凶ではないでせうかね。アメリカもしかり、独裁者の行う選挙や政治はどうにも胡散臭い。そして、この日本にもそうした雰囲気がジワジワと襲って来ているような気がして仕方がないのだ。

 やはり、人種的偏見や差別といったものは、皆の意識の中に確然と存在をするものです。先ずはその事実を認めてからの方がイイ。ポリコレがアメリカなどでも大流行をして、その人間の本質といったものを覆い隠してしまった。だから余計にお互いに憎しみ合うようになったのでアル。

 日本でも、基本、同じような流れがあるネ。本音と建て前は誰にでもあるものではないかしら。それを上手に隠しながら、敢えて本質やホンネは、気分や土壌を醸成してからお互いに告げるようにするのが得策。意見が違っても、イイではないですか。さらに、議論を深めていけばいいのだ。何だか、今の世は安易に流れて対話も討論も少なくなってしまって、ミンナ馬鹿になったみたい。

 最近の犯罪などを見渡しても、そうとしか考えられないナ。オレオレ詐欺にしても闇バイトにしたところで、その若者中心の幼稚さは、目を覆うばかりデス。何で、ここまで馬鹿になってしまったのかナァ。若い連中がホストクラブで働いて、自分に貢いだ女性を売春宿に売り飛ばしたりする。闇バイトもそうだけれど、昔だったらヤクザ者しかやらないような事を、何で今は最高学府に通う人間が出来たりするのですかネ? 私には全く分からない。そこで、結論でアリマス。

 今日は週末だけれど、これからの世の中というのは日本を含め(未だ、素晴らしい国である事の確信は完全に揺らいだ訳ではないが)もうどうしようもない“末期”となっております。ホント、終末だなぁ〜。

何ともワクワクの年末・年始か

 少し前に自家用車のホイールを換えた際、最近になく妙にウキウキすると書いた。あれは本当に実感で、近時余り心がときめくコトは先ず無かったので、久々の慶事といって良かった。

 それとはまた、性質は違うものの、ここ最近についても結構に気持ちがワクワクする思いを噛み締めている。どうという事もないのですが、一時頓挫をしていた「終活」――つまりは、全国にいる自分の友人に再びマミエルといった旅がそれなりに決まって来たからでアル。もう一方で、新年会という訳でもないのだけれど、小学校時代の友だちと年明け早々に会う約束が進行しつつあるし、ここのところ1月に行うばかりだった、丸9年前に急逝した大親友Hの偲ぶ会も計画をされているからもあります。

 来月半ばの土曜日には、大学時代に大変に仲の良かった福井県庁職員だったIに会うために、これも同じく大学時代の同級・普段からも良く会うSと共に福井に訪れる。9月にあったクラス会で会ってはいるものの、ほぼ「話が出来なかった」とはこの欄でも告げた。それもあって、Sに相談をしたところ、「カニを食べるので12月にしたぞ!」という事で有無を言わさずだった。彼夫妻と同道する格好だ。

 それと、これは同級とか同学年ではないのですが、この欄でも複数回にわたって京都支局の同窓会の時に、2日にわたって浴びる程の酒を飲まされた大酒飲みのK君には、1月の終わりに会いに行くことにした。彼のところに遊びに行くのは、もう4、5年前から地方通信部の局長(朝日新聞)でいる間にと何度か計画も立てたものの、コロナやらこちらの態勢の問題もあって実現ならず。都城から始まって、田川や唐津にいる際にも、何とか足を運ぼうと考えてはいたものの、結局ダメだった。

 それでようやく、という訳。

やはり、友人との交友が一番だ

 それと、これは全きに終活とも言えまいが、新年早々には前述のように、小学校時代の友だちに女子を交えて会う約束を進行させている。でも、せいぜいで5、6人の会合でせうけどネ。

 恐らくその翌週が、前述のように親友Hの偲ぶ会として9回目になるのかな。ホント早いものですね。ついこの間のような気もするが、そのまま年齢を止めてしまったHに対して、こしとらは歳を取る一方なので、中学校時代の友人らと話す時は、そのHを称して「ズルい、ズルい!」と何時も言っている。ついでに付言をしておくと、新年会で会う小学校の連中も、皆Hとは親しかったし、その人物を良く知るもの。何度か言い及んだけれど、私は小学校でもHと同じ学校。そして、級友らと別れて、同じ区内の別の中学校に通ったの故でアル。その中学へは、同じ小学校から3人だけが進んだ。

 はてさて、来月からはそうしたスケジュールがけっこうな密度で詰まっております。歳を取ってから何時も暇をかこってばかりいたので、こんなにも予定が立っているのはついぞ久しく無かったコトだ。だから、という訳で、ここのところワクワクするのです。

 やはり単純だなぁ〜。人間はちょっとした事で気を落とし、逆に少しでも嬉しい出来事や予定があったりすれば、途端に精神は浮き立つ。今は、ちょうどそんな時期であり、会合を待つ生身がソロソロと浮かれているといったところでアル。

 それ以上でもそれ以下でもないのですが、遠距離の旅行の予定を立てたりアレコレ行きたい場所を模索するのは先ず先ず愉しい事でありますナ。

 もう寿命も長くはないと自覚する己れの身として、終焉活動は「着々と進行をしております」と、此処で一旦は報告をしておきたい――。

何だか、実感はナイね

 今年も最終月を間近に迎えるぐらいになった。今月も最終の一週となって、本来ならもっとその歳末感といったものも感じられそうながら、「大分、寒くはなったナ」と思うくらいで季節感に乏しい。何時もほざくように、今年は暑い時季が異様に長く、秋を通り越して冬になった思いがあるので、何だか「??」の思いが浮かぶばかりでアル。

 ただ、少し前から喪中のハガキがポツポツと届くようになって、「イヤ、確かにもう年末に入るのか?」とわずかな感傷を催すだけでアリマス。

 相変わらずの体たらくと変わりのない日常を過ごし、個人的にもハッキリとしない毎日を送っているようにも思います。

 さて、また語る言葉とて持っていないものの、最近は一時にあったような焦燥感も少なく、さりとてリア充かと言えばそうでもない。ただ、少しばかりの気持ちのゆとりと、そろそろと友人連中との催しもその具体を見るようになって来たとの認識だけ。その年末から年始にかけての、忘年会や新年会ともまた違う会合の先行きに関しては、近々にその内容をまとめたいと思っています。先日は散髪のついでに親友のОとの何時もの交歓があって、またまたに愉しい一時を過ごした。殊更に述べるような事ではないものの、やはり友人との語らいが一番の充実になっているので、またその具体は詳しく述べたいと思っています。

 きょう11月26日。もう4日もすれば、師走に突入をしてしまう。未だ、1年を振り返るぐらいのゆとりも落ち着きもないけれど、今年はそんなにも悪い年では無かった気はしています。何時ものような言い訳と、殊更に老人の日常譚の表明だけで終わりそうな気もしますけどネ。でも、何のかの、知り合いの人の訃報なども最近は幾つも耳にするので、振り返り自分なぞは未だ、「元気な方かなぁ〜」などとも思うところが……。進歩のない日常でアル。

冬深き志野の湯呑の肌ざはり 大場美夜子



世界の才能とタレント指揮者(?)

 今年2月に亡くなった小澤征爾さんのその名声と業績というのは、不動の趣がある。誰も「世界のオザワ」に文句を付ける人はいないだろうし、若い時分から日本よりむしろ海外で認められて来、そこからの名声もあった事は異論を向ける人もいまい。

 しかし、若い頃から一緒に斎藤秀雄さんの指揮教室に通い、当初は山本直純さんが小澤征爾に指揮を教えたという二人の友人関係は、直純さんが早くに亡くなるまで、変わらず続いていたという。ちょっと意外の感があるかもしれないが、山本さんが年上の事もあり(3歳上)、お互いに切磋して大変に仲も良かったと聞くと、「そこまでだったのか?」という気もしてしまいますナ。

 私が今回、ちょっと疎かになっていた読書を再開するに当たり、気軽い新書本だったのですが、このタイトル『山本直純と小沢征爾』(柴田克彦・朝日新書)を選んだのには、少しだけ伏線がある。若い頃から、音楽といえばポピュラー一辺倒だった私に対し、実兄は今も音楽家だが、その対象は全くクラシックである。小さい頃から、そのクラシックの話はよく聞かされた。小沢征爾氏はもちろんの事ながら、この山本直純氏に関しても一度、ちょっとした賛辞を聞いた覚えが妙に印象深く心に残っていたのでアリマス。

 自分の若い頃は、小沢さんの名声はもちろんにかなり高いものがあったけれど、一方の直純さん(今後、こう呼ぶ)はもう大変の人気者でタレントのようなものだった。有名な「男はつらいよ」のテーマ曲はもちろんのこと、テレビの一世を風靡した「大きいことはいいことだ」の森永のCMその他、数々のテレビ番組テーマ曲やコマーシャルソングを書いていたのは知られていたので、その特異の風貌とともにお茶の間では絶大の人気を博していたといっていいだろう。

 小沢さんが正統のクラシック畑の世界のマエストロであるのなら、直純さんは「どうもクラシックの人でピアノも弾け、指揮も出来るようだけれど動きが珍妙で、ちょっと怪しいナ?」ぐらいではなかったろうか。私は少なくとも年少者の印象として、そんな具合の受け止め方しかしていなかった。

 ところが、兄貴はこの直純さんを「芸大を優秀な成績で出て、かなりの遣い手である」と言うのでアル。「フーン、そんなもんなのかな?」ぐらいに思っただけ。

 しかし、今回、この柴田さんの労作を通読してみると、その事実が痛いほどによく分かる。しかも一般にはその事実が通底しているとは言い難い、二人の固い友情に関しても、実証的にその行跡と共に跡付けているのだ。正に、自分の知らなかった世界に関して、蒙を啓かれたといったいい読書でした。選択大正解の良書と言っていいだろう。

天才の才気とその行方

 此処で「天才」と書くと、一般には小澤征爾のその名声(超がツク)と業績といったものを、思い浮かべるだろう。しかし、この本の著者である柴田さんを始め、その周囲で親しく付き合った音楽仲間、さらに広く交友関係にあったさだまさしさんを筆頭とする友人諸氏に言わせれば、真の天才は直純氏を措いて他にあり得ないコト、小沢さんにはもちろんの才能と技術はあるけれど、むしろ努力の人であるのだというのでアリマス。これも大変に面白い。

 でも、この本の中で丁寧に跡付けられている作曲作品、ポピュラーと錯綜するその誕生楽曲、音楽(クラシック)の裾野を広げた様々のパフォーマンスや言動などを考えると、この人のすさまじいばかりの才能や器量、その膨大な音楽知識といったものには圧倒されずにはいられない。

 私も不明にして深くも詳しくも知らなかったのだが、その業績はちょっと一言では描き切れないような奥深さと拡がりがあるのです。私も当時抱えていた、ちょっとばかりクラシックの分かる物分かりの良い音楽家といった直純氏への認識を、この際、この本を読んで全面的に改めないとイケナイと思った。同時に、著者の思いもどうもその辺が一番のようだが、やはり私と同じように一般には、この方の真の姿やその天才が理解をされておらない。むしろ、あの世界のオザワに「私なんかより、直純さんの方が圧倒的に才能がある」と言わしめていたという事実が、実相を物語っている部分もあるのではないでせうかネ。

 今更ながら、この本には二人の交友を軸にしてその歴史やエピソード、直純さんが最初に征爾氏を海外に送り出す時に、語り掛けた「俺は音楽の底辺を広げる仕事をするから、お前はヨーロッパに行って頂点を目指せ。日本に戻って来たら、お前のためのオーケストラはちゃんと用意しておく」のセリフと共に、二人の分かち難い結びつきが分かり興味の深い歴程がちりばめられている。時間軸も追って丁寧に取材がされているし、関係者へのインタビューも大したものと思います。私もジャーナリストの端くれだった者として、敬意を表したいとも思ってしまったところ。

 さて、直純さんの凄さを形容するのは、キリがないし大変に労力がいるのだが、その代表作品といったものを眺めているだけで、ホント今更に「凄い!」としか言いようのない事実が分かる。

 私も大好きな映画「男はつらいよ」のテーマは国民的歌謡になってしまったし、前記コマーシャルソングはその赤い法被やタキシードと共に眼前に浮かべる人も多いのではないでせうか(私もその一人)。

 今回、私も初めて認識をしたのは、これも国民的番組だった「8時だョ! 全員集合」も「3時のあなた」も、さらに「ミュージックフェア」も直純氏がテーマ曲を書いているという事実。驚く人も多いのではないだろうか(私もダナ)。これも国民的番組になった「オーケストラがやって来た」の音楽監督や司会を10年近く務めたその器量とタレント性。NHK大河のテーマを2本書いているし、教養番組の冒頭テーマ曲も数本。クラシック分野の正統の交響曲なども、その数は知れずといったところか。もともと、この分野に詳しい訳でも何でもないので、細かなその説明が届かないところがもどかしいものの、ともかくもこの方は天才であったのだ。

 それに対して、まっとうで正確な評価と認識が伴っていないところは、著者の柴田さんならずとも苛立つところがあるかもしれない。でも、私も決してタダの人ではないとは思っていたが、ココ迄とは理解をしておりませんでした。大変の名著を書いてくださった柴田克彦さんに深謝したい。

何となく増える話題

 今日は本来なら、普段と違って書こうというテーマを持っていた。珍しい事に、最近本を読んでいるところもあって、身近の話題と共にその読書に関してもテーマを抱えていたのでアル(未だ、その本も全部を読んだ訳ではないのだが)。

 ただ、朝方聞き及んだところによると、今日は二十四節気の「小雪」。全く気がついてはおりませんでしたが、その暦の話を聞いたところで、やはり多少の紹介はしておいてもイイのではないかと思念した。ちょっと安直ではありますけれどネ。

 別にこの暦に親しい訳でも詳しい訳でも何でもアリマセンが、読んで字の如しでせう。それ以上のコトは分からないし、そう考えても当たらずとも遠からずか。この時期、すぐに大雪になる事はなく、降ってもわずかとの意味合いかな。

 雪に関する抒情とか、俳句の季語と呼ばれるものは数限りなくあるようだ。私も全く不案内ながら、思い付くだけでも「初雪」とか「新雪」、「細雪」に「深雪」は山峡などの深い雪。「雪明り」は雪のおかげで闇夜が明るくなるの意であり、「雪月夜」といった情感の深い季語もある。つくづく日本人は雪を基本として好きなのであり、そこに抜き難い情緒を感じているようにも思う。

 暦に関しては、それ以上に蘊蓄も何もないけれど、今抱えている本欄のテーマに関しては、明日以降にその輪郭を完成させたいように思っています。そうそう、明日はまた久しぶりに頭を当たりに代々木のK君のところに行くので、日曜日以降になるのかな。いずれにしても、少しは中身を練ってみたいところデス。

ゆきふるといひしばかりの人しづか 室生 犀星

そぼ降る雨を観て感じる

 何だか、歌謡曲の題名のようだが、決してそんな大層のものではありません。これもボンヤリとした感覚ながら、今朝は朝方から小雨混じりの風景がずっと続いていたため、柄にもなく自分にとっての「雨」の意味合いや風景を考えたもの。そこに哲学もアリマセン。

 純粋に物理学的に考えれば、雨は全くの必然だし、それは無ければ困るもの。ただ、最近のように一遍に降り過ぎてしまうなら、一方では結構やっかいのものとなる。

 日常的に晴れの日もあれば、曇りだったりそれが嵩じて雨になる日もある。幼い頃からごく当たり前に、そして別に深く考えもせずに受け入れて来た日常であり、風景であります。ただ、そうやって規定をしてしまうと、面白さや情感といったものは抜け落ちてしまうので、今日は全く別の角度からそれこそ歌謡曲に描かれているような「雨の慕情」といった感慨に関して触れてみたい。

 何のことはない、今日は国道バイパスで渋滞があったりして(どうも事故によるそれらしい)、帰りの時間は30分程度遅れた。それでも、道路に侵入した時にノロノロで動いているのを認めて、「これは時間が掛かるナ」と思っていたので、もう処理が終わったのかどうかその後割合にスムーズに流れたのが良かった。

 少し遅い時間から馴染みのパチンコ屋さんに行き、それで最近嵌っている「わんわん・パラダイス」をまた競技した。また、話せば長くなるけれど、きのうも同じようにやってセレブレーションという最上級の役物に辿り着き、一般的には10連チャン、20連チャンも不思議ではない100回以上の確変状態が続くという入賞なのだが、何と私はきのうこの状態を2度引き当てて、その2回とも1度も当てる事なくスルーをしてしまったのです。恐らく、こんな経験を持つ人間は私ぐらいだろう。そのくらいに珍しい、確率的にも低い経験のものだと思います。

 それもともかく、今日は勝ったのです。ちょうど2000円使って7000円弱になったのかな? これまでも同じような出入りの激しい競技をやっていて、勝つ時もあれば同じような大金を負ける時もある。行って来いみたいな展開で、私は決して儲けてはおりません。

やはり、風景と共に眺めるのは愛でたい

 競技をやった(大袈裟だが)のは1時間半ほど。儲かったので早々に切り上げて、換金のあとにお店の建物外の壁際にあるベンチで、一人勝利タバコをふかしておりました。こんな際に、外を小雨が降っていた事もあり、人生を考え、そしてこれまでを振り返るのですナ。

 遠くに小山があって、そこを辿って歩くハイキングコースもある(途中までは歩いた事がある)ので、そんな事を考えながら遠くを眺めていると、何ともメランコリックな気分にもなって来る。

 「昔(子どもの時分)は、雨は大キライだったなぁ〜」と独り言ちてみる。当時は、気象を物理的にしか捉えていないので、日常活動を邪魔する災厄としか捉えられなかったのだ。

 しかし、現在は違いますネ。仕事の際に強い雨を浴びるのは最悪ながら、遠くから眺める分にはちょっとした心の平安を運んで呉れるのです。特にシトシトとそぼ降っている雨がよろしい、今日はちょうど地面が程よく濡れて、ワイパーも間欠が殆どで時折に常時にするといった風情。そんな霧のような雨粒といったものが、遠くから情感を運んで呉れるような気がする。

 また、タダにそれだけのコト……。それ以上でもそれ以下でもありません。何時ものように、年寄りがその加齢の故で、日常の情感と眺める景色に変化を来している事に、触れたかっただけでアリマス。

 文化とまでは言わないが、文学作品や楽曲、そして人間の情感と共にある雨には、一種の魔力のような風情が伴ったりはしないだろうか?

心と懐の寒さに向かい

 予めお断りをしておきたいのは、とは言え何時もの事なのだが、今日は語るべき話題を持っているものではありません。つい最近、この欄に向かう時間が少なくなっておって、カレンダーを眺めると空いている期日が目立つので、ちょっとした寂しさを感じたからでアル。

 「そんな事で大事な時間を(私に)遣わすナ!」とも言われそうながら、自分の恥を晒しついでに今朝の寒さにでも触れて、これからの年末への心持ちといったところを一くさり――。

 まあ、初めに今朝は予報の通りで、大変に寒かった。東京辺りでもそうだったようながら、最低気温が10度前後で昼間でも15度近辺でうろうろするらしい。その辺は、ご当地でも同様のようだ。全くつい、2、3日前がウソのよう。12月中旬以降の気候という事らしい。何とも変な心持ちでアリマス。

 それで、仕事を終えた仕事場でも、偶然に控室で会った仲の良い日通のIさんとも笑い合ったのは、「これから冬の季節ですナ?」といったところ。ホントにごく簡単に述べるのみながら、人生それ自体にも寒風が吹きすさんでいるし、世の中全体も余り期待の持てそうな展開がない。きのうも、かの兵庫県知事選に、辞職勧告で辞任した斎藤前知事が当選したと聴いて我が耳を疑った。週刊誌などで変な人気があるコト(主におばさん連中に)は聞いていたものの、「まさか!」といった思いもあった。考えようによっては、職員を2人殺しているとも考えられる人だぜ。この人は。これは、正に兵庫県民の選択という事なのでせうナ。世の中全体が、エキセントリックに流れているコトを感じるのみだ。トランプ氏も言いたい事を放言し、かつやりたい放題。

 来年1月から、米国も世界も(影響を受け)ズンズンと変わって行くだろうから、その行く末に「寒さ」を感じるのは、決して私一人ではないだろう。坊主の御経と「ご愁傷様……」が、聞こえてきそうな気すらします。

 さて、またグダグダと詮無い事を述べましたが、自分のキライな寒さと共に、時代の雰囲気といった対象にも、その「うすら寒さ」を感じる。これから、本当に寒風が吹き荒れる、また温かさともほど遠い世情になっていくのではないでせうか。

寒風を繰り出して山何もなし 百合山羽公

何だか、感慨はあるネ

 またぞろで、自分の個人的経験と境涯に関して記すだけ。お耳汚しのところは、どうか平にご容赦をお願いしたい。まあ、年寄りは何かにつけて毎日の経験を、自分の人生のこれまでと結び付けたりするのです。

 今日の朝の仕事(医薬品運び)でちょっと驚いたのは、行先が自分の病院作業の中でも最も遠隔地にある、かなり地方のH総合病院だったコト。これまでにも何度かは言い及んだ事はあるが、ここは少し美味しい場所でもあるので、思わず「やった!」と喜んでしまうようなところがアル。

 そして、それに輪をかけたのが、このH病院はそう頻繁に仕事がある場所ではなく、ましてもうこの仕事を10年近く続けておって、この病院の仕事が月曜にあったのは、恐らく今日が初めての事態であったのではないか、と想い至ったから。

 つまり、話せば長くなるのですが、自分が行く遠方の病院は、だいたいが自分の全くのテリトリーになっている隣り街のY市立病院。そして、たまにあるのがそのまた隣りの市にあるS総合医療センター。仕事の殆どはY病院になるので、特にH総合病院に関してはあっても週に1、2度というのがこれまでの通例。さらに、以前は半年ほども全くない時期もあったりしたのだ。なぜ、ゴチャゴチャと言うかというと、隣り街のY病院に行くのも(ここはもう、1000回を超して通っていると思う)、今日行ったH総合病院に行くのも手間は殆ど変わらないものがあるからだ。あるのは、その距離という事だけ。Y病院は朝の道路の空いた時間帯に行けば、ホント40分ほどで着いてしまう。一方、H総合病院は優に1時間以上の時間がかかるのでアリマス。仕事を始めた当初は、ほぼ1時間ほどで着いていたのだが、場所に似合わずに渋滞があったりするので、H病院に関しては最近は1時間10分ほどの時間がかかる。下手をすると、定刻の時間に遅れそうになるので、それだけが心配・気がかりといったところです。

 先に此処が「美味しい場所」だと述べたのは、Y病院に比べても確かに遠いのは遠いのだけれど、勤務時間も1時間余計に付けられる事からだ。つまりは、手間は殆ど同じぐらいの意識があっても、ペイは格段に良いというコト(ニンマリだ)。

以前はそんなに行く場所でもなかった

 だから、という訳でたまにでもあっても、此処への仕事がある時には喜んでいったものなのですナ。さらに付け足しをするとするなら、朝の早い時間の配達で病院の警備員室に届けるため、決められた時間より多少とも早く手渡しても何の問題も生じないコト。一方で、Y病院に関しては、先生に直接届けるため、手続きが面倒だし朝8時という他の場所より遅い定刻で、さらに必ずに、回収品があるというおまけが付いております。

 そんなこんな、帰りの時間も遅くなるので、どうせなら他の病院のようにもっと早い時間の方が個人的には嬉しいところがあるのだなぁ〜。

 グチャグチャと述べたが、警備員室に届けるというのは他の便利さもあって、以前はこの医薬品運びの他に、それからのお弁当や遠距離の仕事等があった。どうしても、仕事が重なると時間がタイトになるので、ちょっとズルをして早めに届けてしまうなんて事も、H総合病院やS医療センターといった場所は自在だった。だから、気が楽だったのですナ。

 それは個人的な事情に過ぎないけれど、やはりそれぞれの病院の個性があり、また顔を合わせるドクターや警備の人などとも相性といったものも、確実に存在をスル。今は以前に比べても、そうした方々の愛想は良くなったのだけれど、それでも個人的好みは出て来てしまう。そんな意味でも、前記からのH総合病院は自分でも行きたくなるような場所であった。

 それが、以前はホントにたまにしかない宛先(それも水曜か木曜が多かった)だったものが、最近は結構アルのです。ここ数カ月、週に1、2度ほどは必ずY病院の他に織り込まれていて、その分は「ラッキー」と思ったりもします。病院の都合なので、それがこれからもずっとという事は無しでせうけどネ……。

 そうそう、それとこれは是非言っておきたいと思うのは、その取り上げたH総合病院が結構な田舎・地方にある病院としては大層な立派な建物であり、地域の中核病院としては出色の部分があるのではないか、と思えるコト。また、そう言いたくなるのは、以前ある映画を観ていた時に「何処かで見た事のある場所だなぁ〜」と、暫し考えていたらすぐに「H総合病院の建物だ!」と思い至った経験があるからでアリマス。映画のタイトルは『永遠のゼロ』。その名前をご存じの方も多いでせう。最近は政治などにも首を突っ込んでいる、かの百田さんのベストセラー小説だ。私は原作でも漫画本でも読んだコトがあったのだが、映画はTSUTAYAでめざとく見つけてDVDを観ていた時の出来事です。かなりに印象深い。だから、この病院のコトを、これまでの経験と共に言及したいとも、思ってしまった次第デス。

 まあ、何時もの年寄りの一方的感慨として、曲げてお聞き置き下さい――。

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