「風のひとりごと」ブログ

東日本大震災および熊本大地震、さらに数々の豪雨で被災された方々へ、心からお見舞いを申し上げます。
 爾来、10数年の時が経ち現在は何とも退嬰的な日常になっていますが、マスメディアにいた人間として権力には対峙すべきとの姿勢や、世の出来事を注意深く観察する視点は変わらずにいるつもり。特に、2020年からは新型の伝染病という未曽有の災厄で世界観さえも変わりつつあります。人間の愚かさを見つめながらも、その聡明さと活力に期待をしてソロソロと進んで行きたいと思います。



これからも寒くなるネ

 またしょうもない季節の話題を書いているが、今日は二十四節気の「小寒」。この頃から寒さが本格化するとの意でアル。実際、ご当地では余り感じた事はないが、東京でもこの時期エラク寒くなる際がある。大雪も時折であったりするのですナ。ある種の風物詩のようなものであると、住んでいた頃には感じていました。

 平穏と言えば平穏。ただ、世界を見渡すと大変にきな臭いのですが……。

 正月も此処まで本欄に向かう気はなかったけれど、やはり気がついてみると表現欲といったものは強いようだ。かと言って、本質的なコトを書いているとは考えておりませんけれど。今日の日からほぼ1カ月ほどは「寒中」と言うことになる。此処から15日ほどで「大寒」にもなります。これも読んで字の如しの、節気という事になりますナ。

 ただの季節感でしかないものの、自分は年末に年賀状を書いていないので、寒中見舞いという形で挨拶だけはしておこうと考えてイマス。一度書いたように、未だ年賀状を仕舞いにするとの目論見はないからだ。それにしても、混乱もあるかと考えていた新年ながら、ごく淡々と推移した実感にも驚いている。酒も結構飲んでいるような気がするし、好きな時に横になっていたりするので、本心としては“天国”のようなものだろう。これで皆さんと仲良くやっていければ最高なのでせうが、どうも時間の推移はそこまでの勝手をさせてくれないらしい。

 また此処に来て、ごく普通の日常に戻る気もあったりする。今日からパチンコも再開をしたいと考えているし、明日からは不定期で一念発起、また勉強を図書館でやる事も計画。どうせ短い間しかやらないだろうけど、たまには集中をしてモノを覚えないと頭もカビが生える気がします。だから、今年は、何時もとは違う年になりそうな気も何処かに潜み入る――。

わが十指われにかしづく寒の入 岡本 眸

意外に愉しい日々

 旧来の正月休みである「三が日」もきのうで終わり、もう明けて4日となった。

 先年から続いている家庭の騒動にかまけて、今年は「正月も何もない」と書いて来たところながら、何のかの平穏に過ごした。ましてや、考えもしなかった充実感のようなものまであったのは、不思議なものだ。一重に箱根の中継をずっと観ていたの故でせうネ。とにかく今年は面白かったし、ある種の感動をまた貰ったような気がします。

 焦点はもちろん、我が母校早稲田大学の活躍でありますかな。予想の段階から目指す総合優勝は無理にしても、何とも上位には食い込める布陣だし、実際にそうした活躍を愉しむ事が出来たからだ。でも、一番のハイライトになるのかどうか、往路1区で優勝候補の青学が16位に甘んじたところで、「常勝校も今年はちょっと無理かな?」と思ったものだ。それが、あれよあれよという儘に、山登りで早稲田がトップになったので、「シメシメ」と往路は勝てると踏んでいたものが、何と競り上がったこの青学の後塵を拝してしまった。あの何といったかキャプテンの人(黒田さんか)の走りは、人間業とは考えられませんでした。

 復路も面白かったし、存分には愉しんだところ。復路途中で遅れた母校も、一時は3位にまで上がったので、これまた期待が大きかったのですけれど、国学院のねばりには脱帽といったところかな? それでも、往年の名門と言われる母校と中央の活躍には感謝をしたいのところ。何にしても、創価大学までその名前を上位に留めるなどの時代の変遷は感慨深いネ。昔はこんな事は考えられなかった。

 ともかくも、年末以来の騒動と落ち込みで、正月どころではないナと考えて悶々としておりましたが、意外なほどに早く時間が過ぎ、かつ十分に愉しめるその刻(とき)であったのは想定外でありました。だから、きのうも大混雑の日帰り施設には行けたし、自分なりに時間を遣えたかといったところデスかしら?

 本来なら、大晦日と元日ぐらいに所感を書いてオシマイと考えていましたものの、その時々の出来事や時間の推移は、気分の低下とは裏腹にそれなりの充実感を齎してくれた。仕事に絡まない安心感や解放感もあったものだし、酒も飲めた新年を自分なりに愉しんだとのご報告です。

 あとは、此れからの毎日をどう制御するかですかネ。それなりに腹案を考えていたりはするのですが……。

正月の雪真清水の中に落つ 広瀬 真人

初夢の悲喜劇

 新春2日。この日で思い浮かぶのが、何といっても「初夢」の事ですか? 今日も夜中に起きたが、余り良い夢は見なかったようなので、きのうの“夢”について語りたい。また、自室でうたた寝をした時に見た余り相応しくない夢でアリマス。

 自分の部屋で作業をしている際、この頃は時間もあるので眠たくなるとゴロンと横になり、1、2時間の微睡みを感じるのは何時もあるコト。きのうは大変に面白かった。

 何と、正月が明けても未だ働いている夢であります。その経緯では、朝方にアイソ医薬品を何時ものように運んだあと、新任の課長さんから「此処に行ってくれるか?」とエキストラの仕事を頼まれるもの。確か、行先は「上田だ」と言われた。横に居た以前親しかったSさんが、「ああ、此処は行った事がある。遠いんだ」と口を挟むもの。正月明けでも自分が依然として制服を着て仕事をしている事にはエラク驚いたものの、断る理由もないと考え引き受けることにしたのだ。私はてっきり、遠いと言われたので長野の上田かとも考えたのだが、Sさんが言うには県内であるという。そこまでで、実際には足を運ぶところまでは至らなかったが、貰った伝票を観たらN通運のものではなくて、確かS急便のものだったので、更に驚いたところ。余程、仕事をしたいと考えているのかしら?

 その後に確か見た夢はもっと現実的なモノ。自分の家に嫁さんの上の姉、つまり義姉が訪ねて来るもの。夫婦間の諍いに関してはもう聞いていると考えたもので、何ともバツが悪かった。しかし、訪問中の姉さんは、その事に関しては何も触れず。それが却って不思議で変な気持ちになったものだったのだな。早々に部屋に避難をしたものデス。

 何を暗示しているか全く考えも及ばないけれど、二つの夢が倖せを運ぶものとも思えない。更に言えば、人間の深層心理というのは面白いものだな、と思う。何処かで何かを考えていて、こうした場面が夢の中とはいえ、現れるのかもしれません。だからと教訓があるものでも無いのですが、何とも奇妙な“初夢”になった元日の昼間。

 正月は淡々と過ぎた。朝方、娘が「おめでとうございます。今年も宜しくお願いします」とわざわざに頭を下げに来たコトは、何だか気持ちを和ませるものでした。つい呼応しながら「目出度くもないのだが……」と応えてしまったものの、彼女も現状は知っているハズなので、頑なな自分とは違ってある種の柔軟さがあるのが嬉しかった。これがもしかして、自分の初夢に成ってくれれば望外の喜びではあると確信しますのですが……。と、取り留めもない戯れ言で閉めてしまいます。

 さて、今日は待望の箱根駅伝だ。嬉しいナ。一日、愉しむ事が出来そうデス。

初夢に古郷(ふるさと)を見て涙哉(かな) 小林 一茶

七十路(ななそじ)は夢も淡しや宝舟 水原秋櫻子

大きな変化かしら?

 とうとうで夜が明けてしまった。新しい年でアル。「新年明けましておめでとうございます。」とは言っても、普段の年とはまるで違うのだが……。

 今は元日の夜中で、午前4時を30分ばかり過ぎたところ。何だか、本当に変な感覚でアリマス。お祝いをする気はまるでないものの、元々右翼的体質を持つ人間なので、何処かで「やはり寿ぐか?」といった気分が全くない訳でもありません。

 正月の挨拶も、ましてや「ゆく年くる年」も観ることはなく(もちろん、紅白も何年も観てはいません)、きのうは午前8時半ぐらいに早々と寝てしまった。嫁さんは紅白でも観ているのかとも思ったが、別のドラマのようなものを観ておりましたな。普段の年なら作っている正月料理も全く手つかずでしたものの、お雑煮だけは大好物なので先ほどその出汁取りほかの準備をしておきました。

 さて、長くなりそうなので自粛をしておきますが、きのうは全く状況変化が無かった訳でもないのです。有体に言って、嫁さんがいきなり自室のドアをノックして、端的に言えば謝罪のような部分があった。「離婚の手続きが煩雑だ」といった主旨の事も述べるので、「そんな事はないよ」とも言っておきました。詳細はネグりますけれど、やはり元に戻る事はないな、が所感。最終で彼女は「分かりました」と言って出て行ったので、これである程度は固まったということかしら?

 実は、先行きの翻意に関しては一つだけその目があると考えているのですが、それは黙っておきます。かなりに難しい話だと思うし、恐らくはそうはならないとも考えているので……。また、思わせぶりになってしまいますが、つくづくに家庭を維持するのは難しいモノと思う。そして、そこと人生にまつわる人間関係の複雑さ、というより端的な困難さですカナ? とまた、思わせぶりになってしまいました。反省をしています。

 さてと、これからどうなるかも未だ判然としない一部もありますものの、この新しい年が自分の再出発だったり、これまでの人生模様をがらりと変えるものになるだろう事は確か。まさか、この歳になって大きな変化を体験するとは夢にも考えませんでしたけれど、「人生いろいろ」というのはスマホの昔映像で、島倉さんのビデオを観ながらでもスッカリ思うところですネ。

 皆さまの人生も、幸いあれかしと衷心からで祈っております。先ずはご挨拶だけで――。

正月の太陽襁褓(むつき)もて翳(かげ)る 山口 誓子

とうとうでファイナルへ

 毎年、この日を迎えると樋口一葉の小説「大つごもり」を絡めて簡単な所感を書いていた気がする。今年はそんな気にもなれず、単なる「籠り」気分だけになりますが、ごく短めに挨拶だけ。

 とうとうで1年の終わりを迎えた事は、多くの人の想念の中でさまざまの期待を結ぶのでせう。自分はとても華やかな気分にはなれないのですが、それでも時は非情に過ぎては行く。淡々と過ごす日常の中で、今日の日の点景を少しだけ。

 今日はクセになると思いパチンコ屋通いは止めようと思っていたのだが、それでも時間の遣い方に戸惑い、現実には出掛けてしまった。それでもきのうの負けとは違って、ツキも大変にあったため短い時間で2000円弱のプラス。お風呂にも行きたかったので、すぐに(1時間と少し)止めてしまった。ためらわずに、家に一番近いB湯へ。

 ここはやはり、大変な混み様でしたナ。皆さん考えるのは同じ事で、1年の垢をさっぱり洗い流したいというコトでせう。期待した硫黄温泉にはすぐに入れたので良かったのだが、その後に控えたサウナが全くの満員であったのにビックリ。初めてとも思えるくらいで、空きが無かった。それでもお客さんに詰めて貰ったりして何とかすべり込み。

 あとは同じ作業を1時間ちょっと行ってお昼少し前ぐらいに退散。大変に印象深かったのは、上がったあとに脱衣場で小さな男の子2人の親子三人連れに行き会い(これから入るところ)、そのお父さんが子どもに「お前ら、明日は何をするんだ?」と問い詰めていたコト。――私らの感覚では、正月一日は家で大人しくしているものと決まっているが、子どもの世界は違うのですナ。彼らの外に出て遊ぶ、買い食いをするのが待望であるのが伺い知れる。

 「アア、そうか。愉しそうだな」と、自分の惨めな境遇と比べて大きな広がりがあるのが、フト羨ましくなる。イイな。子どもたちは屈託がなくて――と暫しの感慨。

 それだけの話デス。後はスーパーで買い物のあと、家に戻ってまた昼間酒。缶ビールは3本も飲んでしまった。イヤな事だらけながら、お酒と付き合う時は私も屈託がない。能天気と言えば言えるのかも、

 さて、明日からの展開はどうなるかも分かりませんが、やはり波乱はかなりにありそうな感じだ。嵐の前に、現在は静かにしています。皆さんが、良いお年を迎えられん事を――お祈りします。

小さな決断

 世の中、どんな推移であろうとも、時間だけは流れる。非情なものでアル。そして、諸行無常には間違いがない。

 私も此処のところ淡々と過ごしております。本来なら、愛想の意味もあって明日の大晦日と元日に関しては、挨拶ぐらいの記述はこの欄にしようと思っておりました。何をどうという訳でもないのですが、経過報告といったところですか?

 しかし、つくづく思うのは、時間の経過と共に心情の変化とかやり直しの選択とかもいろいろ思料はしていても、どうもそうはならないようだ。むしろ、決意は勇躍固まって来ているといった方が良さそう。アレコレ思ってみても、「元には戻らないナ」というのが、率直の感想と思いでアル。

 理由はいろいろあるのですが、細かな心情を述べても詮がないでせう。これまでの推移に関しては、簡単ではあってもその都度報告はしているつもりです。理由もともかくながら、最終的に自分に非があるのは全くその通りであると思っています。余りにイイ気に成り過ぎて現状に甘んじ、周囲に甘えて来たコトには間違いはない。此処までの72年という長い間、大変に倖せに過ごせた環境と、人間関係に多大の感謝はするところ。もちろん、嫁さんや子どもにも衷心からの感謝をしています。

 いちいちに記さないけれど、改めて奥さんには苦労をかけたと思うし、余計の心配もさせ続けたと思います。その度に解決に向けた行動を取ってくれたコトを、感謝しています(これはホントです)。

 私の今の気持ちと真情といったものは、その辺りが最大公約数であり、これは周囲の環境に対しても同じ。どのくらい勝手をし、かつ愉しみを与えて貰って来たか知らない。むしろ、だからこそというのか、それがいとも簡単に壊れる事が口惜しいのですナ。

これからは反省の日々かしら?

 今でも、万が一に心境の変化は? とか、改めてこれまでの歴程は? とか考えるのですが、良い事の方が遥かに多かったし、人生をこれだけ豊かにして貰った偶然といったものにも深謝しかない。

 ただ、此処まで話がこじれ、自分の存在感を失くしてしまうと、あとは後戻りの出来ない慙愧と口惜しさしか思い浮かばないですナ。

 これから正月行事も全くやる気はないし、新年の挨拶すらもオミットしようと決意をしておりますが、一つ面白い現状を報告しませうか。

 今日も何時ものように、何も言葉を繋がずに朝の早い時間にそっと玄関から出て、自分の商用車で(彼女の持つ自家用車はもう5、6日全く遣っていない)、パチンコへとイソイソと……。今日は勝てなかったので結果はどうでもイイのですが、昼飯の食材をコンビニで買ってお昼前に帰って来た。室内では女性陣と顔を合わせるのはバツが悪いのですが、それでも今日は居間に二人が揃っていた(結構、珍しい)。最近は小さな声で「お帰り」「ただいま」とかの儀礼もあったりはするものの、今日はものの見事に二人からは無視をされました。まあ、成り行きかも分かりませんとは言え、いい気持ちはしないナァ〜。

 自分が子育てで一番に大事にし、眼目として譲らなかったのが「挨拶をする事」と「出来る事」。そんな事を考えていたら、また腹が立って来た。子どもは、キチンと育てたつもりでいても、やはり何かが足らなかったのだとツクヅク思う。自分に責任もある事だし、非難もされている訳ですからこれ以上は言いません。情けないだけですナ。――他人に対して? イヤ、全く自分に対してデス。

 それだけ――。

年暮るる目のなき魚の如く生き 稲垣きくの

今年の終わりにひと言

 家庭内の騒動を契機に、「もうブログも暫く休載」などと書いていて、舌の根も乾かぬうちに書いているのだから、世話はない。長くはナリマセン。

 今年ももう終わりだというのが一点と、あとは個人的な例の終局宣言にちょっとだけ触れておきたい。家庭内の空気が最悪というのは、これまでにもあったし、それと似ていたり少しだけ違っていたりと……。もう年内に関して(正月もそうだと思うが)、決まり事は一切やらないと宣言をしましたのは、つい先日の事。実践もしているのだけれども、きのう嫁さんに頼んでいた年賀状を、彼女がいち早く印刷をしてしまった齟齬がありました。ちゃんと言えば良かったのだが、今年は賀状は一切書かないつもり。年が明けてから、貰った人にはお詫びと一緒に、寒中見舞いでも出そうかと考えております。

 それで、真意を伝えた彼女は再びに不機嫌になった。恐らく、先日の諍いについても、そんなにも真剣には捉えていない風がある。女性というのはつくづく不思議の生き物と思いますナ。現実に生きているの故でせうが、あれだけ激しく言い争ったと憶えていても、次の日には元に戻るような風がある。余り、拘りもないのかもしれません。

 しかし、今回は彼女と言わず、私自身がかなりに深刻に捉えており、ほぼでその決意も固まっていると言えそうな気分だ。具体的に来年にかけて、すぐには無理でせうが、離婚の協議を進めるための算段までもかなり具体化・構想をしております。以前は、そこまでは無かったけれどなぁ〜……。

 要するに、この歳になって、あれほど嫌われれば立つ瀬がないと言う部分と、これは男女に違いもあるのでせうが、男には本能的に意地とプライドが横溢するというコト。これは、口で話しても分からないかもしれません。男のケンカなんて、みんな些細な事が原因で、しかも意地の張り合いでしかないのでせう。

 そんな訳で、もう世間も仕事納めだし、個人としても何もする気が起きていない。大晦日に向けて、大掃除もナシ。賀状も書きません。さらに買い出しにも行かないし、おせちの一部やお雑煮に関して(私の担当)も今のところ基本ヤル気はありませんですネ。

 また、やいのやいのと言われると思いますが、、正月の親類への挨拶もオミットする気でいるので、いよいよに本気だ、といったところですか? 何しろ、人生は成るようにしか成らない――これも一つ巡り合わせ、一つの節目が巡って来たと考えています。で、お粗末さま。正月明ければ、また何かを書くかもしれません。

今日はクリスマス

 今日は、クリスマスかな。キリストの生誕日という事なので、おめでたさが勝るのでせうが、超個人としてはそんな事は全くなくて、きのうのイブの日に、また嫁さんと諍いを起こしてしまった。何となく前兆のような気分は感じていたものの、最近の習いとして「とにかく我慢!」を地で行っていたのですが、何だか変な具合で話が私の身上に及び、「これからどうやって行くのよ!」キツイ調子で迫られた際にプツンと切れた。

 生活が多少ともタイトになるのはあるにしても、暫くの間は経済にさほどの負担はなくて暮らしていけそうというので、仕事を辞めたのは先述の通り。何度も嘆いていたように、体と気力もついて行くものがないので、個人としては自然な選択であったと考えています。

 しかし、これは嫁さんの気に入らないところ。この事は以前から気付いていたし、言われていたりもしたものだ。しかし、齢70歳過ぎまで働いて、稼ぎは少ないにしても誠心誠意やって来たとの自覚が本人にはある。そんな思いはトンと通じないようだった。

 以前からその上から目線が気になり、「危ない、危ない…」と意識はしておったのですが、とうとうでぶち切れた。これ以上述べるとなると、家庭問題だし余りに悲劇的にもなるので、抑えておきます。ただ、先行きは余り芳しくないのは、ご報告の砌になりませうか。

 これも個人の思いでしかありませんが、何だか全てがイヤになりましたナ。それで、正月に向けての全ての予定をキャンセルして、ひたすらに無為に過ごす事を選択。当分、嫁さんと口をきく事もないでせう。大人げない事は分かりますが、今回はこれまでの歴史を踏まえているので、恐らくは決定的になるハズ。きのうの奥さんも言っていたけれど、「もう一緒に居ても意味はない」という謂いのようでありました。

 面倒臭いけれど、仕方がない。今後はひたすら、その目的地に向けて準備と心構えをするだけですカナ?(冗談ではありません)。今更ながらだけれど、また個人的慨嘆は申し訳ない限りながら、つくづく夫婦とか家庭というのは難しいモノでありますネェ〜。

 そんなこんな、これ以上は述べませんが、暫くこの欄も休載とします。また、年が明けたりして、少しはおメデタイ気分になった際に、急に書くかもしれません。身勝手は重々にお詫びをしますけれど、とんだイブだったし、この日を境に人生のターニングポイントになるのかもですナ(?)。拝

朝からの雨に想う

 俗に「秋の長雨」などと言う。今年は秋と言える程の風情も無かったのでしたが、先月までの降水量も普段より格段に少なかったのではないか。ニュースで知るくらいでしたのだが、何でも平年の2、3割ぐらいしか降っていなかったようでアリマス。幸いに水不足のニュースまでは至ってなかったようながら、下手をすると断水騒ぎなどになってしまったりするので、願い下げのところ。

 もうすっかり年末になっているし、今日はクリスマスイブである。さらにホワイトどころではない、朝からの雨模様の景観であります(今日は全国的に晴れの特異日のよう)。朝方は多少とも寒さを感じたが、先ほど帰宅したら余り寒気がない事にも驚いた。私はもう子どもではないので、クリスマスと言われても何の感興もないが、子どもさんのいる家庭ではさぞ忙しいコトでせう(ケーキも高いらしいしネ)。

 そんな表題ではないけれど、蕭条とした寒気の残る朝とともに、もうすっかりに歳末の景色とニュースになっている日常を振り返る。今年は先週までの勤務であったし、その後毎日日曜日になってしまっているので、余計でアル。

 何のコトもない、普段と変わらない毎日なのだが、やはりこの安堵感と解放感にも格別のものがありますナ。とは言え、もう暫くしたら今度は何もないコトへの欲求不満が募るのかもしれません。人間というのは、つくづく勝手なものでアル(実感!)。

 今日少しだけ感じた風情というのは、パチンコを2時間弱やって早々に引き揚げようとした時、戯れにお店の外の長椅子でタバコを吹かしたのですが、普段も随分落ち着く時間であり、今日はその雨模様と相俟って大変にその景色を愉しんだところ。やはり、疲れた体には、こうした景色と静寂、情感といったものが必要なのでせうナ(また、意味不明部分はあるが)。

慈雨に例えられる雨の恵み

 前の話に多少戻るとすると、雨というのは時と場合に嫌われたりします(子どもの時は特に)けれど、やはり豪雨はダメでも時に必要かつ肝要のモノであるということだ。

 やはり、雨の少ない地方や世界、少雨のための困難などを考えると、私らの生活は一応は大変に恵まれた水資源も持つとは言えないだろうか。山々も豊かにあるため、天然の飲料水にも随分と恵まれた部分があるのは、多くの人の実感するところでせう(南アルプスの天然水は特にイイね)。

 雨や雪というのは、時に大変な静寂と美しい景観を作ってくれます。何でもそうだけれど、余りに行き過ぎてしまうと、本当の災厄を齎したりするけれど、適当に降ってくれないと心底困るのが「雨」という事にもなるのだ。

 それこそ幼い時であったり、仕事で駆け回っていた時には、この降雨というのに辟易した事は一再ではありませんが、その辺は人間の身勝手というモノであり、自然が作り出してくれたこの環境は、本当に万人にとって掛けがえのないものデス(これも実感だね)。

 歳を取ると、物理的な発見ももちろんあるが、一番に感じるのはその情感や、興味の感得部分で大きな変化を想う際があるというコト。やはり、世の中バランスだネ。極端模様に良いコトはない。

 なんかなぁ〜、今は世の中全体にバランスを崩しているように見える。そして、それを助長する輩がやたらと多いコトにも、心底辟易ものでアル! 私コト老人は大人しく、他人を怒らせず、謙虚に生きるばかりですが、たまに感情を爆発させたくなって困りモノです。ハイ。

口に出てわが足いそぐ初時雨 石田 波郷



さすがに仕事には行くまいが

 きのうは長期休暇になって初めての平日。流石に、何事もなく無事に過ぎたのでしたが、度々に感じる“違和感”といったものは確実に存在をしたのですナ。

 だいたい、以前の仕事や朝の医薬品運びといった“習性”を始めてから、週初の月曜日が休みになる事はほぼ完璧に無かった。ごく最近に複数回、この日が仕事休みになって大きな驚きがあったりしたけれど、先ず月曜は「仕事始め」なのでありますナ。それが、きのうはここ十数年来でも無かった日曜の続きになったので、場面場面で仕事に行くコトや、行っていた時のコトを考えたりしたものです。朝に起きた時の気分とか、9時前にパチンコ屋に出掛けた時の風景の違い。さらに、普段は車の中で必ず聴いていたラジオのパーソナリティーの人の声の感覚とか……。

 別に何処でどのように――とまでは意識はしていなかったのですが、やはり「休みなのだなぁ」といった少しの感慨はあった気がする。何といったって、15年近く、こういった展開は無かった訳ですからネ。

 まあ、そんな思いもすぐに消え去って行くものでせう。ここのところ、「スワ! また、ツキが出始めたか?」と先週金曜にも大勝をしたパチンコ勝負の事を意識していたものの、きのうは最後に「遊タイム」とやらで高確率をもぎ取り、何とか4000円の負けを半分取り戻しただけでありました。――体たらくは相変わらず。

まあ、ゆっくりやります

 毎日に仕事を意識して、多少ともの緊張感と供にずっとあったのは、少し前にも話した通り。やはり、先日日曜日の日にも、その日になってしまえば翌日の仕事の事は必ず意識をしていた心持ちも思い出したりした。それがないのは精神衛生上に良いコトだし、これから少しは健康になるのかな、と思ったりする。でも、緊張しないのですぐにまた太るだろうけどデスがね。

 そう言えば、今年は「何時かな?」と考えていた冬至に関しては、どうもきのうであったようでした。夜の長さにも辟易したりするが、一方で1年で一番の影の長い日でもあるようだ(冒頭写真)。何にしても、冬ごもりの季節になる訳だし、年末や来年にも大雪での災害が出ない事を願うばかり。そう言えばと更に思うのは、きのうは殊の外暖かい日だったのでビックリもした事だ。エレベータで乗り合わせる同じマンションの人とは、「暖かいですネ?」「そうですネ」とバカの一つ覚えのような挨拶でした。

 さてさて、来年は是迄とも少し違う正月を迎えるかもしれません。何がイイとか悪いとかも無くなって来た老体ながら、何とか体を動かせるうちにやりたい事をやっておきたい(終活)。

 陽の長さが分岐点を迎えるのは、ある意味で時間(刻々)の折り返しというコトなのかもしれないネ。自分の場合もそういった年回りになったけれど、人生が80年あるとすれば後僅かながらでも“余生”があると言う事かしら? そんな悠長でもないような年齢と言えば、言えるのだが……。

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